鬱で感じる雨の日の憂鬱は異常

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今日は雨。 

少し頭痛がしたし、起きると決めていた時間になってもしばらくベッドから起き上がれる気がしなかった。。

何度も何度も体を起こしてはまた寝込むを繰り返してやっと起きることができました。

起きてみれば意外と動けたけれど、その重さたるや。。

 

他人の感覚は一生理解できないにしても、私が自分を鬱だと思っていなかった時に感じた雨の日の憂鬱と、今の雨の日の憂鬱は明らかに違うなと思います。

 

 

退職を決めたら「死にたい」と思う回数が減った

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もともと「消えたい」「死にたい」と思うことが結構あります。

でも、死ぬのはとても怖いので自殺願望は無いし、殺されるのも絶対に嫌です。(理論立てて説明するのは難しいニュアンスです。)

 

今の職場に来てから3ヶ月ほど経った時のことです。

仕事が忙しく、色々と納得のいかないことが多かったり、自分が作ったものを否定され続けるうちに、ふと気づけば「消えたい」「死にたい」と思っていない瞬間を見つけることの方が難しくなっていました。

頭痛や不眠が続くようにもなっており、友人から勧められて、思い切って病院に行ってみると、うっかり鬱と診断されてしまいました。

睡眠薬を処方され、不眠の症状は抑えてずいぶん楽になったものの、一般的によく言われたりしている「鬱だと認識してしまうと本当に鬱になる」みたいなことは本当にその通りかもしれません。

しばらく様子見していましたが、日に日に酷くなる頭痛やその他の体調不良がその時の感情とリンクしていることに気づいたのです。

 

あれから数ヶ月経って、私は退職を決めました。

職場にあるストレスの原因が、この先もきっと改善されることは無いかもしくは年単位の時間がかかるのだと思ったら、もうとても待っていられないと思ったのです。

 

退職を決めた時や退職の意思を職場の人に伝えた時は悔しくて、情けなくて、不安でずっとぐずぐず泣いていましたが、1週間程度してから「消えたい」「死にたい」と思う回数が激減したことに気づきました。

ずっと「今食らいついて頑張らなければ将来は無い」という思いで自分なりに頑張ってきたつもりでしたが、そもそもその"将来"が無くなるかもしれない状況でそれを続けるのは馬鹿ですね。

将来への不安がなくなったわけではないけれど、とにかく今は"今"を優先して本当に良かったと思っています。

30代半ばで不思議の国のアリスになった

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私は30代半ばの女で、仕事はクリエイターをしています。

ここ数年、時と場合によって自分の仕事のスキルや頭のレベルが随分違うように感じることが多くなっていました。

誰しも学生時代の友人の中に居ればこう、職場に居ればこうといった、集団の中の自分像、ステータスがあると思います。

環境毎に相対的な自分のレベルが変わって見えることは当たり前のことだとは思うものの、それまで感じていたのとは別次元の違和感を覚えるようになったのです。

 

自分のことを小さいと感じる

私にはいわゆる普通の友人がいる一方で、自分と同じ業界の仕事で腕が良く有名な友人や、日本人なら多くの人が知っているようなサービスをゼロから作って成功に導いた知人が居ます。

すごい人と知り合ったのではなく、もともとそうでなかった人達が努力を重ねてそこにたどり着くところを目の当たりにしました。

きっとこれからそうなっていくのだろうと想像できる人も多く、その出現率の高さによって、自分のことを急にちっぽけに感じることが多くなりました。

 

自分のことを大きいと感じる

同じ分野で実際に一緒に働いたことのある人を心から尊敬したことはあまりありません。

一つのプロジェクトにクリエイターが複数人ついて協力しながら進めることもそれなりにあるけれど、その中で心から「この人はすごいな」「この人にならついていきたい」「自分もこんな風になりたい」と思った経験はあまりありません。

むしろ「なんて使えない人なんだろう…」「私ならこうするのにな…」「どうしてこうしてくれないの?」という気持ちになることが多く、その時私はクリエイターとして自分のスキルが相手より上であると思っていて、悪く言えば見下しているのだなとだんだん強く認識するようになりました。

 

"自分の大きさ"がわからない事による不安

30代半ばまで同じ仕事をずっと続けていれば、多くの人がその道でのキャリアアップを考えたり、世間一般での自分のレベル感が気になるのではないでしょうか。

私もそれに漏れず、ここ数年は年相応の収入を得ようとしたり、そのためのスキルアップやチェンジ、転職などもしました。

その中で企業や人に対して「自分は大きいですよ」と伝えたり、小さく見える面は隠したりして、何かと"自分の大きさ"について考えたり行動することが増えたのです。

前述のように、周りが大きく自分は小さいと感じたり、周りが小さく自分は大きいと感じたりしながら、実際のところはどんな大きさなのかわからないまま、その時こう言っておくべきと思った"何となくの的"を目がけて言い表しているうちに、ますます"自分の大きさ"わからなくなっていくのを感じました。

"自分の大きさ"がわからないと、人に自分のことを伝える時にどうしても嘘をついているようでうしろめたさがあったり、収入と自分は釣り合っているかわからず、全く自信を持つことができません。

 見ていて自分がちっぽけに思えてくるような眩しい友人、知人は、こんなくだらないことで悩んだり不安になったりしないのでは?という思いからさらに焦りも出てきます。

 

まるで不思議の国のアリス

こんな感覚が年々強くなっていき、ある日「不思議の国のアリス」でアリスが薬を飲んだりキノコを食べたりして大きくなったり小さくなったりするシーンを思い出しました。

一般的にそう呼ばれているものとは違いますが、まるで"不思議の国のアリス症候群"だなと。(この話を友人にしたら「この局面で気の利いた例えw」というリアクションだったのでタイトルにしてみました。)

世の中には「人と比較するのはやめたほうが良い」といったポジティブな意見もあるけれど、報酬が発生する仕事についてとなると、人からの評価や人との違い、レベルは切り離して考えることは難しいと思うのです。

この先40代、50代、60代と、働く限りずっと違和感が増していくのだと思うと、特に私が働いている業界は移り変わりも速く激しく置いて行かれないためにずっと食らいついていかねばならないという性質も手伝って、考えるだけでめまいがします。

 

で、結局どうしたいのか?

わかりません。

私はまだ悪夢から目覚めることができていません。

  

耳が詰まった感覚

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耳が、エレベーターに乗って急に気圧が変化した時になるような状態になってなかなか戻らず。

エレベーターの時はだいたいすぐに治るので気にしたことはなかったけれど、この状態になると違和感はもちろんのことですが、モーター音や風の音がとても耳障りに聞こえて気分が悪くなったりするのだなと気づきました。。

ダイビングをする人たちが耳抜きというものをすると聞いたことがあったのでそのやり方を試したのですが、鼻をかむことすらうまくできない私なので案の定手応えがなく諦めることに。

このまま元に戻らなかったら辛すぎるなと思っていましたが、丸2日くらいで戻りました。

食事をしていて、気づいたら辛くなくなっていたので、結局は何かを飲み込んだりするのが作用して治ったのかな?と思います。

 

もともと音には敏感な方だけれど、鬱の症状として大きな音が苦手になっている気もするので不快感を緩和するのに何かしたいなと考え中。